プロフィール

名前

(PN)

M.ナオキ (漫画・ライター)

松本 直樹 (絵画・小説)

M.ナオキ
PNの
由来
2006年8月から絵画は本名、マンガとライティング活動はペンネームにて

活動をしています。また、漫画の場合は「松本零士先生」や「浦沢直樹先生」の様に大御所の先生と

名前が被ってしまい恐れ多いからという理由もありました。

306

号室の

由来


高校卒業後、プロの漫画家を目指し釧路の親元を離れ初めての一人暮らしを札幌のマンション「パラシオン」3階306号室に部屋を借り新たなスタートを切りました。

 

そこは北日本最大の繁華街である「すすきの」から徒歩圏内で、田舎育ちの私にとって酔うような人ごみ、始めての一人暮らし、希望、不安、病魔との孤独な闘い等々、1年に満たない時間でしたが一言ではとても語りきれない思い出があり、高校卒業以降の私の新たな出発点と言っても過言では無いのがこの札幌であり306号室なのです。 いつでも原点の気持ちを大切にしようとサイトの名前を2007年から「M.ナオキの306号室」と改名しました。

誕生日 8月30日
身長 181cm
体重 89kg
血液型 A型
出身地 北海道釧路市生まれ 釧路町育ち
星座 乙女座

仕事

漫画・絵画・小説・イラスト・ライター・簡単なサイト制作・雑貨製作販売・各種デザイン等
特技  ・小学~現在社会人までずっと野球人(軟式・硬式どちらもやります)2018年シーズンで現役25年目 
 ・ボーリング(20代前半はプロボウラーからしばらく教えて戴きました!)現在は遊び程度です
趣味 温泉巡り 旅 勉強 眠る スポーツ スポーツ観戦
煙草 吸いません! 仕事場も車内も禁煙(スタジオにお越しの際はご注意を!)
お酒 飲みません
好き 芸術(漫画含む) 温泉 銭湯 野球 熱い人間 裏表の無い人間 頑張ること
嫌い 口だけの人間 年齢や実力で見下す人間 権力を振りかざす人間・政治家 負けること 今の教育 偽る事
好きな
食べ物
ラーメン カレー(特にインデアン) 甘いもの 辛いもの 肉 魚 葉物野菜
ファストフードはマックとミスド派
嫌いな
食べ物
なるべく何でも食べられるように努力しています
でもトマトだけはどうしてもダメでした…

 

詳しい略歴と自分史

1984年 (昭和59年)
<8月30日> 2700グラムで釧路市に生まれる
1984~1991年 (昭和59年~平成3年)

<幼少時代> 
病弱で他人がかからない様な病気になることも多く、危篤状態に陥ったこともあった。

そのため家に居る機会が多く親のしつけも厳しかったため、自分の感情を表現する手段が絵を描くことしか無かった。
1歳位から形のあるものを描いていた。病気が自分の人生の方向性を決めたのかも知れない。

1991~1997年 (平成3年~平成9年)

<小学生時代>
前半は相変わらず病気がちだった。少しだけ登校拒否もした。心臓病も見つかり体育も見学しがちだったのだが、
父が野球好きでキャッチボールに(強制的に)誘われた。だが、軟式ボールでも固くて怖く、
逃げて怒られて泣いてばかりで野球は大嫌いだった。漫画とアニメ、TVゲームの方が好きだった。

 

転機は3年生の頃にいつもならTVゲームをする友人数名で、公園で何と無しに柔らかいボールで草野球遊びをした。
誰か野球部に入っている訳でも無く皆同じ様なレベルだった事もあり、新鮮で病気も関係なく雨の日も雪の日も毎日の様に
野球漬けの日々を送った。だが、心臓病で野球部に入ることは出来なく5年生の時に入院をして医師からOKを頂き、
晴れて本格的な野球人生のスタートを切る事ができた。絵の方は言うまでもなく常に描いていた。
賞も沢山取ることができ、褒められる機会の少なかった自分にとって、子ども心に絵は勇気を与えてくれる
大切なものとなった。「絵と野球」という人生スタイルはこのころ確立し始めたのかもしれない。

1997~2000年 (平成9年~平成12年)
<中学生時代>
絵は勿論描いていたが、基本的には野球漬けの毎日であった。
当時はいじめや不良の多い中学校で、2年生で主将をやらせてもらってからは部員の喧嘩の仲裁ばかりで
なかなか野球自体に集中できなかった印象がある。教師陣とは仲が良く、クラスに必ずいるような先生っ子
だったと思う。小・中・高の中で中学時代は一番健康でいる時間が長い3年間でもあった。
2000年~2003年 (平成12年~平成15年)

<高校時代>
北海道釧路北陽高校に入学。硬式野球部で汗を流す。北海道では強豪校で、1年生の時は得意だったバッティング以外は全く通用しなかった。
当時は北陽史上最強の世代で、マスコミにもかなり注目されていた。3年間とも、特に2年の時は甲子園の有力候補だったが、いつもあと一歩で
甲子園出場を逃した。この北陽の3年間は、その後の人生と人格の形成において本当に大切な3年間であった。
勿論野球を通してが、入部した時点で最年長だった小学時代、いじめの多い中学時代と違って先輩は皆素晴らしく、

プレーだけではなく礼儀や人間として大切なものを沢山教わった。今でも誇れる家族の様な存在だ。


また、野球と並行して絵の方も熱心に描いていた。野球でプロになりたいと本気で思っていたが、健康面に不安も出始め、
絵を中心にした進学を考える様になった。その想いを理解してくださった美術の久保先生は末期癌の身を押しながら、美術部では無い
自分に休み時間や空いている時間を使って絵のイロハを教えてくださった。進路の季節になると美術と野球を両立できる大学を
たくさん推薦してくださった。とても悩んだが漫画への想いを捨てることは出来ず、結果的に専門学校へ行くことを決めた。

久保先生がいなければ今の自分は無いと思っている。どこまでも生徒の事を第一に考えてくださる「本物の先生」だと痛感した。

札幌へ進学してまもなく、久保先生の訃報が入った時は涙が止まらなかった。だが、先生に恩返しをするためにも
絶対この絵の世界で結果を出そうという気持ちは更に強くなった。

2003年 (平成15年)
<3月> 北海道釧路北陽高校卒業 札幌に単身移住する
<4月> 専門学校札幌デザイナー学院に入学
<6月> この頃から持病が悪化し始める 一度倒れる
<秋> 北京開催での「アジアマンガサミット」に自分の作品も出品されるが受賞は無し
<10月> 人生初のマンガ作品の持ち込み 因みに相手は手塚治虫先生の
元担当編集者であった。案の定、その場から逃げて消えたくなる位ボロボロに指摘される……
この頃には薬の数も10種類を越え体と心のコントロールができなくなっていた。
オーバードーズと発作の中、皆には言えずに頓服薬を常時服用しながら健康なフリをして学校に通い続けていた。
2004年 (平成16年

<2月> 体調の悪化が止まらず学校を自主退学 釧路に帰郷し療養
(病名は『パニック障害』と、その他諸々)
<6月~> 釧路町で画家と出会い本格的に絵画を修行し始める
絵の本当の深さと自分の未熟さを再認識した
<10月> プロとして初めて絵を販売する

初めて売れた絵は「海の絵」と「花の絵」

2005年 (平成17年)
<3月> 小説「命の器」 某出版賞で最終候補
<3月> クインシーズ釧路店にて作品販売開始
<5月> 2年ぶりに野球の世界に復帰 社会人のクラブチーム『グレード1』入団
(この年は地区大会等で優勝2回)
<11月> 漫画家・島本和彦先生ご本人にマンガを見て頂きアドバイスを受ける
2006年 (平成18年)
<7月> 北海道 釧路市にて自身初の個展(パステル画・水彩画・イラスト)
<7月17日> 釧路新聞にて特集される
<10月> 釧路市にアパートを借り、作品制作用のスタジオとする
<12月> 釧路町の某設備会社、ロゴデザイン採用
2007年 (平成19年)
<1月> 釧路市 弁当ハウスバンバンにて、M.ナオキコーナーを設置 同店舗でも絵画・イラスト販売開始(現在は閉店)
<3月> 釧路市 「輸入雑貨&COFFEE angella(アンジェラ)」にて作品販売開始(現在も取り扱い中
<5月~6月> 北海道 厚岸町フォト喫茶夢風舎にて個展「道東画展」(風景画・ペット画)
<7月> 釧路町 ささき整骨院にて展示・販売開始(現在は終了)
<9月9日> NPO法人「ゆめのき」秋まつりにて似顔絵コーナー
<9月30日> 野球(GRADE1)にて、同一の大会で3連覇を達成する
<11月~> NPO法人「ゆめのき」主催のイラスト教室にて講師
2008年 (平成20年)
<3月> NPO法人「ゆめのき」、ロゴデザイン採用(現在は釧路町を中心に見かけることができます)
<4月> スタジオを釧路町の実家裏に移動する
<4月~12月>  母校・遠矢中学校野球部コーチ
<6月~7月> 株式会社マッハコーポレーションにてニンテンドーDSのソフト制作に関わる(モデリング)
<10月> 北海道 厚岸町フォト喫茶夢風舎にて個展「道東画展2」(風景画)
<10月> 中標津町 家具の丸協にて展示・販売開始(店舗移転により現在は終了)
2009年 (平成21年)

<2月> ネット上のマンガサイトにて初の漫画連載が決まる
<4月> ネット漫画サイト「ひょうひょう!」連載開始 (漫画サイト名「マンマル」)
<9月27日> ゆめのき秋の大収穫祭にて似顔絵コーナー
<10月> ネット漫画サイト「ひょうひょう!番外編」不定期にて連載開始 (漫画サイト名「マンマル」)

※両漫画ともサイトの閉鎖に伴い途中終了
<10月> 漫画修行のために再び札幌へ移住

2010年 (平成22年)
<1月> 社会人野球チーム「GUINNESS」結成
<3月> スキージャンプ長野五輪金メダリスト 船木和喜選手と出会う
<3月> 船木和喜選手と肖像権の契約
<4月> 船木和喜選手に同行し取材等開始
<8月> パニック障害発症後、初めて東京へ行き出版社を巡る
2011年 (平成23年)
<3月11日> 東日本大震災 故郷釧路も津波の被害を受ける
<5月~> GUINNESS、札幌市「ルーキーリーグ」に参戦する
<10月~> スキージャンプを経験
2012年 (平成24年)
<3月> 野球にて株式会社マッハコーポレーション様とオフィシャルスポンサー契約
<5月~> GUINNESS、札幌市「オイスターズリーグ」に参戦する
<5月> 救急車で運ばれる(潰瘍性大腸炎の疑い)
<6月> 震災と急病から色々と思うところがあり、秋に東北を巡る旅を計画する
<7月> 東北の旅を釧路のユーストリーム放送局「KUCS」にてドキュメント番組化決定
<8月> クエスタ株式会社と提携し商業漫画製作を始める
<10月~11月> 「M.ナオキ 東北を巡る旅2012秋」決行 同時にKUCSにて放送開始
2013年 (平成25年)

<3月> 「M.ナオキ 東北を巡る旅2012秋」放送終了 (現在もアーカイブにて視聴可)
<4月> フリーライターとしてWEBマガジンの執筆開始 (愛知県 株式会社Web企画様にて)

<7月~11月> 試合中の半月板損傷、躁うつ病が重なり夏から秋にかけてベッドの上。数ヶ月を棒に振ってしまう

2014年 (平成26年)

<2月> 埼玉県 ケーズオフィス様とライター契約 多種サイトにてコラム執筆開始

<5月> 株式会社スポーツITソリューション様とライター契約 「Sportie.com」にて不定期更新

<10月> 「STUDIO Switch On(スタジオ スイッチオン)」開業

2015年 (平成27年)

<2月> 持病悪化を理由に地元の釧路町へ移住。静養しながらの執筆となる

<7月> 漫画「M.ナオキの社会見学」発売

<8月> 手作りクレヨン工房Tuna-Kai様主催で北海道旭川市ジュンク堂書店にて「12人の作家展」が行われる

2016年 (平成28年)

<8月> 「Tuna-Kaiと13人のアーティスト『映画』を描くin京都」が行われる

「12人の作家展」が全国各地で巡回展

2017年 (平成29年)

<1月> 北海道釧路町大地みらい信用金庫釧路東支店にて個展「松本直樹 北の自然展 2017in釧路」(アクリル画・水彩画・クレヨン画)

<4月> 釧路で新しい軟式社会人野球チーム「NEXUS」結成

2018年 (平成30年)

<1月ー2月> 北海道釧路町遠矢公民館にて個展「松本直樹 道東を想う」(アクリル画・水彩画・クレヨン画)

<2月ー3月> 北海道釧路市展望レストラン・ワンピースにて個展「夢見る道東の世界 松本直樹絵画展」(アクリル画・水彩画)

<4月> 北海道釧路市介護付有料老人ホーム悠和館にて個展「松本直樹展 空と大地」(アクリル画・水彩画)

<6月> 2016年より全国各地で行われていた巡回展「Tuna-Kaiと13人のアーティスト『映画』を描く」が終了する

<6月> 北海道釧路町大地みらい信用金庫釧路東支店にて個展「松本直樹 北の自然展2018」(アクリル画・水彩画・墨画)

<7月> 北海道釧路市珈琲堂linoにて個展「松本直樹展 涼風が吹き込んで」(アクリル画・水彩画・墨画・グッズ)

<8月ー9月> 北海道厚岸町フォト喫茶夢風舎にて個展「道東画展Ⅲ」(アクリル画・水彩画・墨絵・漫画・グッズ)

<8月22日> 無料WEBコミック雑誌てんてるにて漫画「ひょうひょう! ~北海道の温泉と名所巡り~」連載開始

<10月ー11月> 北海道釧路市珈琲堂linoにて個展「松本直樹展 道東散歩」(アクリル画・水彩画・漫画・グッズ)

<12月> 北海道釧路市ときわ台ヒルズにて個展「松本直樹展 美しき野趣」(アクリル画・水彩画・ペン画・漫画・グッズ)

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スタジオスイッチオン


STUDIO Switch On(スタジオスイッチオン)は、松本直樹・M.ナオキが活動する個人事業主の屋号です。

住 所:北海道釧路郡釧路町(防犯の都合上、詳細な住所はコンタクトが取れて、お客様の素性が判った時点でお知らせしております)

定休日:火曜日

代表電話:090-2075-1254

 

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